俳優・歌手として活躍されていた中条きよしさん。
2022年夏の参院選比例代表に維新の会より出馬し、見事当選されました!
今日はそんな中条さんの若い頃のイケメン画像や、イケメンエピソードをまとめてみました。
中条きよし プロフィール
- 本名:下村清(しもむらきよし)
- 旧芸名:高波 晃(たかなみ あきら)渥美 健(あつみ けん)」
- 生年月日:1946年3月4日
- 年齢:76歳
- 出身地:岐阜県岐阜市
- 身長:178cm
- 体重:71kg
- 血液型:B型
- 学歴:岐阜東高等学校商業科卒業(旧・岐東高等学校)
- 趣味:ゴルフ
中条きよし 経歴
中条さんは、色んな職業や人に恵まれ、非常にユニークな経歴をお持ちです。
学生時代
まず、小学生の頃より銀幕のスターに強い憧れを抱いていました。(当時は東映の時代劇が主流)
小学校5年生の時、地元岐阜の劇団に入団し、中学では演劇部に所属しています。
船乗りになる
高校卒業後、さまざまな縁から、船乗り(日本海航路の貨物船の司厨員)の道に進みます。
中条さんのお酒の強さは、この船員時代に築かれたようです。
というのも、映画などでもおなじみ?船員は夕食を終えると、毎晩酒盛りがはじまるようで…
中条さんも、相当鍛えられたのだとか。笑
ただ、やはりスターへの夢があったからなのか…船乗りは3ヶ月ほどで辞めてしまいます。
歌手活動を始める
その後、中条さんは大阪の劇団に入団。
なかなか売れない日々を過ごしていた19歳当時…。
ある歌謡ショーに出演予定の若手歌手が急病で欠席!というピンチ。
しかも出演は明日!
ひょんなことから、中条さんに白羽の矢がささり…
「明日歌を歌えないか?」と声をかけられたそう。
演技には憧れと自信があったものの…歌は全くの素人。
経験もないし、何より音痴…と自覚していた事もあり断りますが、押し切られて出演!笑
何とか出番が終わり、ホッとしたのも束の間。
関係者に「酷かったね」と言われ、落胆…
しかし、続けて「君、歌は酷いけど舞台映えするから、うちでアルバイトとして歌ってみないか」と声をかけてもらったそう。
これをきっかけに、歌のレッスンをはじめ、歌手の道を志すようになったとのことです。
バーの経営と銀座通い
その後、歌手を目指し上京。
新大久保の家賃6500円のアパートに入居します。
しかし、歌では稼ぎがないので、生活費のために、四谷と赤坂でミニバーを経営…
なんとそれが大成功!
軌道に乗ったため、中条さんは大きなお金を手にすることができるようになります。
20代前半からポルシェを乗り回すようになり、銀座にも毎晩通っていたんだとか!?
銀座でも、ツケをせず、毎回しっかり現金一括払いをされるお客様!という事で
非常にモテたというエピソードもあるようです。
ただ、歌手としては、なかなか売れず、長く下積みの時代が続いたそうです。
売れない時代
1968年、「帰って来た波止場」(旧芸名:高波晃)でデビュー!
しかし、売れず…。
その後、1971年には、渥美健に改名し、「心の古傷」で再デビュー!
…ですが、今回も全く売れませんでした。
いやぁ〜、、、なかなか簡単じゃないですね。
「全日本歌謡選手権」でグランプリ
しかし、そんな日常が大きく転換する出来事が起きます!
1973年、自身が経営するバーのお客さんだった芸能関係者から、新人歌手を発掘するオーディション番組「全日本歌謡選手権」の事を聞きます。
出場すると…今までの努力を全て肯定されるように、トントン拍子で10週連続を勝ち抜き、見事!グランドチャンピオンになったのです!!
「うそ」が150万枚の大ヒット!
その後、優勝をキッカケに「中条きよし」と芸名を変え、
翌1974年1月、「うそ」で再々デビュー!
発売するやいなや、150万枚を売り上げる大ヒット記録し、この年の「日本レコード大賞」大衆賞を受賞!
続けて、紅白歌合戦にも出場を果たします!
その後、同年7月に「うすなさけ」10月に「理由(わけ)」をリリース。
これらもヒットを記録し、中条きよしは、一躍スターダムに駆け上ったのでした。
歌手・俳優活動
その後は、歌手としての活躍を求められる事が多い一方…
自身の演じる事への情熱から、やはり「俳優」活動へと活躍の場を移していきます。
俳優としては、『水戸黄門シリーズ』や『必殺シリーズ』『NHK大河ドラマ』などテレビドラマや映画、舞台でも大活躍。
たくさんの出演歴を持ちます。
まとめ
今日は、中条きよしさんについてまとめてみました。
若い頃より、たくさんのジャンルで多様な経験を積んできた中条さん。
経験を活かして政治の世界へ。
芸能活動と同じく、共感を得られる政治活動を展開できる事を祈っております。そして期待しております!